GomameのTubuyaki Vol.153

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―long, long ago  むかし、むかし の高貴なる顎(あご)の一族

 いつも生活感の無い、何のためにもならなそうな雑談を掲載している本欄ですが、読んで下さる方にはいつも申しわけないと思いつつ、今回も日本からはるか遠いヨーロッパ、しかも何百年も前の、大昔の王侯の一族がテーマです。
 およそ、それがどうした系のお話しですが、ごゆるりとお読みいただけましたら幸いです。

ハプスブルグ家の興亡

 ヨーロッパのもっとも古く由緒正しい王家と言えばハプスブルグ家ですが、起源は、10世紀に現在のスイス地方に勢力を持っていたドイツ系の領主一族です。
 その後650年間にわたりヨーロッパに君臨し、幾多の国の歴史に登場してきました。
 『戦いは他のものに任せよ、汝幸いなるオーストリアよ、結婚せよ』という有名な文言があります。
 ハプスブルグ家はオーストリアを本拠に、武力だけによらず、結婚という手段で、16世紀初めのヨーロッパで最大の富裕を誇っていたオランダ、ベルギー地方を領有し、スペインをも手に入れました。
 以来、ハプスブルグ家はオーストリアとスペインに分かれ、発展してゆくことになります。
 しかし、スペイン王家は1700年に断絶。オーストリア王家は皇帝を称し、女帝マリア・テレジアやその娘マリーアントワネットを輩出します。
 ナポレオン後も存在感を見せますが、1918年の第一次大戦後、帝国は瓦解しました。

ハプスブルグ家の青い血の人々

 西洋では高貴な血統を「青い血」と言いますが、その血が薄まることを避けるためか、何代にも重なる血族結婚を繰り返しました。
 叔父と姪、いとこやはとこ同士の結婚が当たり前だったハプスブルグ家は、その弊害として、子孫に心身の障害や短命の者が多かったそうです。
 彼らには容貌にも顕著な特徴があり、特にスペイン王家には、突き出た下あごと厚い下唇とが強く現れました。
 ハプスブルグの顎と言われます。
 16世紀初頭生まれのカルロス1世は、一生をヨーロッパ中に散在した領地を巡回し、神聖ローマ帝国皇帝として異教徒との戦いも出陣、隣国フランスとも敵対しましたが、晩年、ひどい痛風に悩まされ、絶え間ない戦争と統治に疲れたのか、退位して修道院に隠棲、五十代で亡くなりました。
 やはり下顎前突症で、鼻腔閉塞症もあり、常に口が開いていたそうです。
 スペイン王家の最後の王、カルロス2世は、下顎が完全に噛み合わないので噛むことができず、そのまま飲み込むだけだったと伝えられています。
 心身虚弱で読み書きはできないが、拷問を見るのが趣味だったという王は、子孫を残すことなく38歳で死去。
 スペインのハプスブルグ朝は断絶しました。
 高貴なる青い血を守るために外部の新しい血を入れず、自滅のような形で滅びた王朝の歴代の肖像画を見ると、権力や権威に囚われた人々の悲哀のようなものを感じるかもしれません。
 そして自分が束縛の少ない平凡な庶民である安堵も。

この記事は当社瓦版 ほっとぽっと2021年秋号No.153 に収録した内容です。

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