この夏は夢とロマンの財宝探し
このところ放映されませんが、TVの「埋蔵金発掘」番組は世間の関心も高く、結果が予想できても視聴率が良いようですね。
何台もの重機を繰り出す大がかりな探索も有りですが、深い山中を艱難辛苦に耐え、スコップ一丁で掘り進む昔ながらの個人的な業もまた、宝探しの醍醐味ではないでしょうか。
各地に伝わる財宝伝説
古今東西、一攫千金への夢は尽きません。
一昨年、海賊キャプテン・キッドの財宝の一部とされる銀塊がインド洋で発見されたニュースがありました。
アメリカ北部に多いキッドの隠し財宝伝説ですが、なんと沖縄の大神島にもあり、一時は宝探しの人々が海外からも押し寄せたそうです。
謎の古文書を解き明かして宝を手に入れる物語は世界各地にあります。
日本の昔話にも「朝日さし夕日輝くその下に、黄金千両、朱千杯」がありますね。
財宝の在処を示す歌で、目印の白椿やツツジの木の下を掘ると、大判小判と朱(水銀。重要な鉱産物)がザックザク。
若者はたちまち大長者に。
落城伝説には埋蔵金の伝承を伴うものが多く、小木ノ城の、財宝をスオウの木の根元に埋めたが、この木は海上からは見えるが山中では見つからないといった戦国時代の古い話はもとより、近く幕末の頃では、会津へ敗走中、長岡藩の軍資金を浅草岳山麓に隠した、という言い伝えもあるそうです。
徳川埋蔵金は小千谷にある?
財宝探しと言えば徳川埋蔵金は外せません。
今から151年前に徳川幕府が倒れ、新政府軍が江戸城の御用金蔵を開けた時、中がカラだったことが埋蔵金伝説の発端となりました。
御用金の責任者であり、抗戦派だった幕府最後の勘定奉行、小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)が処刑され、埋蔵金伝説は一抹の信憑性をもって今に謎を残しています。
隠し場所は群馬県赤城が有名ですが、小千谷市吉谷大字四ツ子にも伝説が残されています。
「越える峰 後ふりければ吉か凶 谷なき渡る 四羽の子鳥」。
越後・吉谷・四ツ子と財宝のありかを辞世の句に詠み、自決したのは、山梨県に埋蔵金240万両を運んだ者たちでした。
小千谷は幕府直轄領だったので、御用金を分散して埋めた中の一か所かもしれませんね。
総額360万両と伝わる埋蔵金を現在の価値に換算すると3900億円だそうです。
トレジャーハンターへのお誘い
三代120年にわたって徳川埋蔵金を探し続けている一族もいるのですから、ここは『こっつらことしてらんね、早い者勝ちだすけ!』と、コ○リから軍手とスコップを調達し、google mapを手に某地に駆けつける夢とガッツのある方はいらっしゃらないでしょうか。
「元々無いから見つからぬ、元々無いから夢なのだ」の迷句(名句)はさて置くことにして。
この記事は当社瓦版 ほっとぽっと2018年6・7月号No.138 に収録した内容です。