雪の里に眠る 隠れキリシタンの残映 その弐
中越地方と東頸城の雪深い山中に残るマリア観音やマリア地蔵とされる石仏たち。
菩薩像に聖母子を仮託し、あるいは十字架を忍ばせた仏像は、それと指摘されなければ見過ごしてしまう素朴な佇まいです。
キリシタン遺物か否かの真偽は別にして、雨風に晒され苔むして表情も定かでない石仏は、見る者の思い入れによっては、ミステリアスな魅力があるのかもしれません。
過酷な弾圧を受けながら信仰を守り通した隠れキリシタンの歴史にも、ロマンをかき立てられますね。
千年の古刹と、過疎の村のマリア地蔵
魚沼市佐梨(旧北魚沼郡小出町)の円福寺には江戸時代中期の年号のある二体のマリア地蔵が建っています。
お寺の説明板によると、円福寺は十万石の格式を持ち、寺社奉行の手が容易に及ばなかったので、当時の住職が信仰者同士の深い理解から境内に置かせてあげたのでは、と記されています。
上品な、やさしいお顔ですね。
二体の持つ錫杖の先に、十字がはっきりと刻まれています。
長岡市小国・八王子の地蔵堂にあるマリア地蔵は、お堂の正面、同じ台座に並ぶ七体のうちの一体。
錫杖に十字の印はすでに風化して判然としません。
元は柏崎の寺の下女だった隠れキリシタンが信仰していた石仏を、土地の人が引き取りお堂に安置したとの由来が案内板にありました。
ふと石段脇を見ると、赤子を抱いた子育て観音像が。
慈愛に満ちた表情に、松之山のマリア観音石仏を連想しました。
十日町市松之山湯山・松陰寺の本尊、マリア観音
松陰寺の木造観音像は高さ21㎝余の小さな像ですが、十字の付いた宝冠と錫杖、抱えた幼児が取り外しできるという日本に三体しかない特異な形状を持ちます。
脇に安置されている十字の錫杖に赤子を抱えた地蔵菩薩と共に、金色に塗られた極彩色の美しい像は、1966年、立教大学の高田茂博士により、隠れキリシタンの聖母子像であると発表されました。
以降、しばらくは観光客が押し寄せる名所でしたが、ブームが去った今、訪れる人も少なく、住職が不在のためお参りできません。
篤志家が設置したガラス窓から覗く形での拝観ができます。
1653年創建の松陰寺に係わったであろうキリシタンたちは、言い伝えによると群馬県沼田に去り、子を抱いた石仏以外のキリシタンの痕跡は、まったく残っていないそうです。
キリシタン信仰の行方
キリシタン信仰は既存の仏教や民間信仰と混交し、いつしか消滅したと考えられています。
子を抱いた菩薩像、十字架のような形だけを根拠にキリスト教の遺物とすることの可否もあるかもしれません。
全国を歩いた高田博士の研究もその後進展せず、世間の記憶から消えていきました。
この記事は当社瓦版 ほっとぽっと2016年11月号No.126 に収録した内容です。