GomameのTubuyaki Vol.140

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愛だの恋だのを考察すると。

愛だの恋だのを考察すると。

 

 空の色が透き通り、山々がくっきりと近くに見える季節になりました。
 心を内省的な気分にする秋は、思索の季節とも言われます。
 秋の夜長のひと時、明日の仕事の段取りを思いめぐらす合間に、時には、若き日にひとを恋う思いに身を焼き焦がした日々を懐かしむも良し、今が青春!恋愛まっ最中の方や、そんなものに興味無しの自他共に許すカタブツの方も、少しの時間『恋バナ』なるものを語ってみませんか。

さまざまな恋のかたち

 『恋』とは相手への所有欲であり、幻想である。
 のような身もフタもない説はさて置き、おそらく『恋』は人類共通の普遍の感情であることは間違いないのでしょう。
 恋の病とも言うので、病気の一種でもあるかもしれませんが。
 最近はLGBTが認知されつつあり、恋の形も一様では語られなくなりそうです。
 古今東西、音楽も文学もこの題材無しでは成立し得ません。
 恋愛の話題は関心を惹きやすく、感情移入もしやすいので流行歌は恋の感傷を歌い、小説は恋愛心理を切々と語ります。
 純愛・悲恋・失恋・裏切り・不倫。
 この全部が出てくる「天の夕顔」という小説があります。
 作家の中河與一(なかがわよいち)が昭和13年に発表した古い古い小説ですが、恋愛小説として今もなお屈指の名作の評価が高い作品だそうです。

天の夕顔

 21歳の大学生の「わたくし」は、下宿の娘である人妻の「あの人」と本を介して親しくなります。
 7歳上の「あの人」には、長く外国に行ったままの夫との間に子供もいます。
 「わたくし」と「あの人」の関係は、想いを絶とうとしても断ち切れず、別離と奇跡のような再会を繰り返しながら続いていました。
 その間、「わたくし」は懇ろになった女と結婚し、病妻を離縁します。
 飛騨山中に世捨て人のような生活に入った「わたくし」は、ある日突き動かされるように「あの人」に会いに行き、5年後の愛の成就を約束されます。
 その約束の日の前日に、すでに病床にあった「あの人」はこの世を去りました。
 「わたくし」はかつての夕べ、「あの人」が摘んだ夕顔の花を天の国に届けたいと花火を打ち上げます。
 儚く消えた一瞬の花は「あの人」が摘み取ったのだと考えて「わたくし」は自分の喜びとするのでした。

時代のギャップがあっても、今もなお

 24年にも亘る二人の愛は最後までプラトニックでした。
 燃えるような情愛にあっても踏みとどまったのは何故なのでしょうか。
 読む人ごとに考えが違うと思いますが、倫理や世間からの指弾を恐れるよりも、深い理由があったかもしれませんね。
 人の心は今も昔も大元は変わらないと言われます。
 戦前のころと比べれば、恋愛が自由でイージーになったことは当然としても、この小説の「わたくし」のように、一つの夢のために生涯を賭けたと述懐する人生は、この複雑化した現代には存在し得ないのでしょうか。

この記事は当社瓦版 ほっとぽっと2018年10・11月号No.140 に収録した内容です。

o-goshi

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