長岡市喜多町 一里塚の松
一里塚は、江戸時代に街道に設置された一里(約4Km)ごとの距離を示す道程標で、四方9m、高さ1.7mの土盛りの上にエノキかマツの木が植えられました。
本来の一里塚は、街道の両側に一対にあったと言われています。
長岡城下から高田への街道の最初にあったのが、この「大曲り一里塚」。
当時の人は信濃川を渡り、この一里塚の松の下でこれからの道中に気を引き締め、あるいは柏崎方面からの山越えの疲れに、一息を付いたのかもしれませんね。
昭和45年、8号線バイパス工事のため道路の向かい側に移植されたのが、現在地です。
その前年の44年に、長岡市の「一里塚遺跡」として記念物に指定されています。
この松の木の樹齢はわかりませんが、半円を描くように曲がった幹には空洞を塞ぐ補修がされ、何本かの支柱に支えられており、かなり古い木のようです。
視界の邪魔になるためか下枝は切られ、良い枝振りには見えない姿は、国道404号線の喜多町交差点にある宿命かもしれません。
大きな街道ならどこにもあった一里塚は、今では残るものは少なく、県内でもわずか。
中越地方では珍しいとのことです。
排気ガスや振動などで、一里塚の松の生育環境は良くないでしょうが、生きた史跡としてこの先も、地域の移り変わりを見守っていてほしいと思います。
この記事は当社瓦版 ほっとぽっと2019年1月号No.142 に収録した内容です。