―出発(たびだち)の春ー心に残る言葉
大地が冬の眠りから目覚め、水が温み、草木が若芽を育む春は、何が無し心が浮き立つものですね。
確かな根拠は無いものの、でも新しい何かが始まる漠たる予感や希望。卒業や新学期の多くが春のことも、その理由の一つかもしれません。
人生の節目節目に贈られたであろう言葉の中に、皆さまには、忘れられない言葉の記憶を持っておられるでしょうか。
Boys, be ambitious.
「少年よ大志を抱け」は、明治10年(1877年)、米国から札幌農学校の教師として招かれたクラーク博士が、帰国の際に教え子たちへ贈った言葉です。
博士は9か月間の短い期間でしたが、後に北海道農業・酪農の指導者となる人材を育てました。
意欲に燃える若者に、この言葉は大きな勇気を与えたことでしょう。
「死ぬときぐらい好きにさせてよ」。
昨年亡くなった樹木希林さんを起用し、2016年に新聞の一面全体をカラーで掲載した某社のキャッチコピーです。
オフィーリア風の衣装をまとった希林さんが、ミレイの名画をモチーフに微笑を浮かべて横たわる広告は、とても反響が大きかったそうです。
癌を公表した希林さんの境遇と相俟って、しばし紙面を見入ったことでした。
「笑う手伝いはできても流したなみだを消すことはできないんだ」。
安野モヨコさんの漫画「オチビサン」の中の言葉です。
優しくなりたい時、ほっとしたいとき、世代を問わず「オチビサン」のいる世界は、浸りたいものの一つかもしれません。
ある女性のブログから
ーゆえあって、私は幼い頃親しんだもののほとんどを失いました。
母が亡くなって継母が家のことを守ってくれて、その中で私のものは次第に姿を消してゆきました。
嫁ぎ先に置いていたもの。
ピアノや机や本たちや人形たち。
それらは熊本地震でこれもまた姿を消してゆきました。
でも、そのものたちが与えてくれたあたたかさは今もしっかりと肌に残っていますし、これからもずっと心の中にあるに違いないと思っています。
私が古物を愛するのは、たとえ知らない人が残してくれたものであっても、愛されたあたたかさを内包しているからではないかしら。
帰巣本能、ならぬ帰物本能。
そこに帰れば守られるという安堵。ー (「海の古書店」より。筆者の方から掲載の承諾を得ています。)
今は鎌倉市に住む筆者の、故郷熊本を懐かしみ、肉親を含めご自身の意志によらず失ったものへの哀切な心情が伝わる文章ですね。
抑制された言葉は、思いの深さを読む者に訴えかけるようです。
言の葉の力
古来、言葉には霊力があり、良い言葉からは良いことが起こると伝えられてきました。
また、言葉は良薬にも凶器にもなります。
ふだんの心掛けとして、接する相手にはなるべく美しい言葉がかけられるよう、できたら良いですね。
この記事は当社瓦版 ほっとぽっと2019年2・3・4月号No.143 に収録した内容です。