忍者は実在したか その実像と虚像
新型コロナウィルス禍の中、緊急事態宣言は解除されましたが、まだ終息には遠いようですね。
春からの自粛の日々から早くも梅雨の季節になり、蒸し暑い日々が続きそうです。
外出時のマスク装着がすっかり定着し、中には手作りのオシャレな柄のマスクがすてきな方も目に付きます。
暑くなるにつれ、マスクに籠る息苦しさに、なかなか慣れない方も多そうです。
ましてや、マスクをして運動など考えられませんね。
でも、昔いた忍者は、しっかりと顔の下半分を覆った忍び装束のまま野山を疾走し、水に潜っていました!
「忍者」は実在したか?
敵に囲まれて絶体絶命の時、指を組んで印を結び呪文を唱えると姿が消える、火遁の術、水遁の術、宙を舞い空を駆け上がる。
神出鬼没の忍者の活躍に胸を躍らせたのは子どもたちでした。
テレビ番組のアニメの「忍者ハットリ君」は、ずいぶん長い間続いているイメージです。
日本だけでなく、ハリウッドでもNinja映画が作られ、人気を集めているそうです。
実際の忍者は荒唐無稽な存在ではなく、諜報機関として戦国大名に仕え、敵地に潜入して情報収集や情勢攪乱が任務の、今で言うスパイだったようです。
有名な伊賀、甲賀(現在の三重県、滋賀県)のほか、後北条氏の風魔一族、長野県戸隠の忍者が知られており、有名な猿飛佐助は戸隠で修業し、真田十勇士の筆頭になったそうです。
長野市の戸隠忍法資料館「からくり屋敷」を訪れたことがありますが、忍者好きな子供に楽しめるかもしれませんね。
厳しい忍者の世界
「忍び」と呼ばれた忍者の世界には厳しい身分制度があったと言われています。
伊賀を本拠にした忍び集団には三つの頭領家がありました。
その一つがハットリ君のご先祖、服部家で、徳川家康に仕えた服部半蔵が有名ですね。
配下の忍びたちは最下層の身分でした。
時には他の土地から子どもを村に連れてきて幼時から厳しく鍛錬し、忍びに育てたと言われます。
規律を守るため、逃亡など掟を破れば、重い制裁が待っていたとされています。
忍びは身体能力だけでなく、任務のための薬草の知識や、火薬の知識に通じていることも必要でした。
そうすると、忍者は文武両道に秀でたエリートでもありますね。
現代の忍者たち
このところ、トライアスロンや登山道を疾駆するトレイル、垂直の壁を登るボルダリングなどが新しいスポーツとして人気が出ています。
なぜか忍者が数百年も前からやってきたことがスポーツ化されたような気がしますが、たぶん違うのでしょうね。
徳川泰平の世、甲賀・伊賀の忍者たちは失職し、農民になりました。忍者の子孫と伝える家が、今も残っているそうです。
この記事は当社瓦版 ほっとぽっと2020年夏号No.148 に収録した内容です。