因果は巡るのか 或る老人の世間話から
農作業の機械化が始まり、米作り農家が田の重労働から脱しつつあったころの、雪深い農村にあったというお話しです。
もう約半世紀前近くになりますか、ずいぶん昔のことですね。
Nさんは仕事先で知り合った60代後半で、昔の言葉で「金棒(かなぼう)引き」というのでしょうか、村のゴシップを大きな目玉で表情豊かに、陰口にはせずに語るのが上手な方でした。
中でもM村のT家にまつわる一家の物語は、下世話ではありますが、印象深かった一つです。
ただし、人の生死が絡む話しなので、お気に障られたら申し訳ありません。
水に祟られたTの家族-その発端
T家は、山裾の田んぼに囲まれた三十戸ほどの村にありました。
その家には村人から因業(いんごう)爺さと呼ばれていた頑固な舅(しゅうと)と、とても気の強いお嫁さんがいました。
二人はことあるごとに激しい口諍いをしていたそうです。
ある夕方、屋敷内のプール状の浅い足洗い場で、舅が倒れているのが発見されました。
警察に呼ばれた村医者により、中風を出しての水死とされましたが、世間はあらぬ噂を流したものです。
T家の息子は面倒ごとの嫌いな温和な人物で、嫁を庇うでもなく、また世間に物申すこともしませんでした。
嫁と孫娘に起こった繰り返す水の悲劇
10年後のこと、娘の小学校の臨海学校に、PTAの役員だった嫁が付いていきました。
姑と夫には、しきりに今年は行きたくないと言っていたそうですが、その海で嫁は帰らぬ人になりました。
多勢の人のいる浅瀬で、嫁が溺れる様子に誰ひとり気がつかなかったのも不思議なことで、舅の一件を持ち出して口さがなく、酷いことを噂する村人も中にはいたようです。
そして2年たった後、村中が稲刈りで大忙しの秋の日暮れのころ、嫁が残した二人の娘の7歳になる妹の姿が見えなくなりました。
最後は村の全員で捜索したのですが、用水路から見つかった時には、無残にもすでにこと切れていたそうです。
祖母である姑の嘆きは深く、親戚の勧めで近くの村の法印様(修験の山伏)からお祓いを受けることになりました。
因果はもう巡らない! 姑の覚悟
法印様の口利きで、病床の母を長らく看病し婚期を逸した女性が後家(後妻のこと)に来ました。
忍耐強く優しい質で、男の子も生まれ、仲の良い家族で、T家は平穏だったといいます。
田植え前、町内総出の用水路脇の草刈がありました。その時、T家の男の子が、用水路に落ちる事故が起きたのです。
流れが速く冷たい水に飛び込んだのは、60代半ば過ぎの姑でした。嫁を大声で制し、修羅の形相だったそうです。
胸までの水の中から孫を救い出したふらつく姑の体を、岸から必死に掴んでいたのは嫁でした。
後日姑は、今度水のことがあれば自分の番だと思っていたから、何も怖くなかった。
これで水はお終いだよ、とNさんに言ったそうです。
一家で三人の犠牲を出した水難の因果は終わったのだ、がNさんの語り納めでした。
この記事は当社瓦版 ほっとぽっと2020年秋号No.149 に収録した内容です。